ボンベイ、マラバー・ヒルの未亡人たち
The Widows of Malabar Hill
スジャータ・マッシー
2020/5
1921年ボンベイ。事務弁護士として働くパーヴィーンが様々な弊害(主に「男」と関連するもの)と闘いながら依頼主たちを守ろうと奔走する姿は職務という範疇を超えているように思えた。けれど訴るには闘うほかないのだ。
範疇を超えている、と感じたのはパーヴィーンの行動がソーシャルワーカーのようであり、「〜のことを気をつけてあげるよう」配慮するべきとしていることや「未亡人たちに伝えなかったことに、罪の意識を感じた」など、自分を責める。
そこにどうしても女だから、という感覚を受け取ってしまう。
女が生きるためには男を通す社会を考えなければいけない。それはわかる。くそだけど。
パーヴィーンの恥と責。『Giri/Haji』を想起した。男の世界に生きる女たち。あとヤクザの指詰めとかさ、、なんもかも履き違えてる。それにインド映画『パッドマン』も助けになった。パーヴィーンは1921年に生きているけれど、生理中の隔離部屋は既に「母親の代で終わらせてた」ことだったんだよ。。
そして、隔離する因習により女が亡くなっているという事実が衝撃的だった。『パッドマン』はこれをこそ懸念していたんだよね。
女であるために法廷に立つことができないパーヴィーンは、冒頭依頼人から「あなたこそが救ってくれた」と能力を評価される。
ボンベイで唯一の女性の事務弁護士パーヴィーンはどんな職種であれ貧富であれ男に見下されるが、後半それがほんの少し変わっている。ほんの少し。
パーヴィーンの感覚や思考がときどきあれっと思う。環境が違うってことなのかな。未亡人の一人、サキアを描写するときやけに「美しい顔」を強調するのは気になった。
最後に、パーヴィーンの女言葉がすごーく気になった。