ジャ・ジャンクー、フェイヤンの子 A GUY FROM FENYANG: JIA ZHANGKE


ジャ・ジャンクーの作品は吉祥寺バウスシアターの特集で今年見たばかりで、閉館した場所とともに今は無き懐かしい映画の中の数場面を、懐かしい気持ちで見た。

フェイヤンの風景や人々がどんな暮らしをしていたのかわたしはジャ・ジャンクーの映画からしか知らない。だから、彼が当時のことを語り、懐かしむ様子を見て、その姿に哀愁を感じた。
また彼の映画を見ていつも感じる孤独とかどうしようもない空虚さを風景からではなくジャ・ジャンクー本人から感じるというのは不思議な感覚だ。でもそれは彼がカメラに向けて時に悲しそうに時に楽しそうになんの隔たりもなく私たちに話してくれるから。なんて懐が深いんだろう。ますます好きになった。

ジャンクーの日常にある孤独描写が好きで、(最近の「罪の手ざわり」はあまりピンとは来なかったけれど)一ファンにはたまらない現在のフェイヤンが見れた。撮影した場所が取り壊されるものであるということは今現在存在していて、架空のものではないということ。だからとても愛しい。同時にたまらなく寂しい。そういう両極端な痛みを感じさせてくれる。

ジャンクーやタオや皆が"情熱に振舞っていた頃"の作品はどれも生き生きとしている。たとえ鬱屈していても、今失われつつある人びとの弱さや肉体の動き、土着の言葉(方言)にあふれている。そのまんま書いちゃったけど、本当にそうなんだもの。

いつかなんの制約もなく中国で映画館でジャ・ジャンクーの作品が上映されることを祈ります。