ボーダー 〜戦火のシリアを逃れて〜


10/18「難民映画祭」にて。

フィクションとノンフィクションの間にはどうしても越えられない壁があると思っていて、たとえ事実をもとにした映画であってもフィクションはフィクションとして作られていてほしい。甘ったれた観客だと自覚はある。

「少女は行方不明」
また、ボーダーの前に『金の鳥籠』をもう一度見てその脚本の素晴らしいまでの残酷さを痛感した直後だったから、ノンフィクションで誤魔化した(ように感じた)ラストはいただけない。


「私たちの宗教もほっておいて!」
それをそうそうさせてくれないのが、現実というもので。いま君はどこにいる?そしてどういう状況だ?と見ていて思うけれど、そんなことは姉妹には関係ない。全く頭にないのだ。だから敵味方がうようよ潜伏している森のなかで大声で姿の見えない少女を呼び、男を罵倒し、胸を張って自らの正当性と説明を求める。


終盤、女は国境の金網をくぐることを躊躇する。少女に罪悪感を抱いているのだ。それこそが死でも男でもなく、女が恐れているものに感じられた。
だから男とそりが合わない。彼は現実を見る。目に見えることがすべてで、身の危険が迫り、都合の悪いことがあれば捨てることができる。それが強さなのか弱くさせるわけでなく、それは今まで学んできた生き残る手段。
キャンキャン吠える妹ちゃんは捕虜になったことないしね。
男の真正面に立ち対峙する。だからこそ男は妹の瞳に惹かれたのであって、姉のように兵士に告発したりはしない。まぁそれも生きるすべではあるんだけど。

「ろくでなし!」って自分の主義主張を通させることが、じゃあ正しいのかよって思うし、妹はその報いを受けたという形になって悲しい気持ちもある。
無宗教のわたしには理解できないことのほうが多かった。とても興味深い作品になりました。